恵みの広場

福島ベテルハウス便り

2023年 8月

発行元:〒960-8202
福島市山口字中ノ内38−1 福島ベテルハウス
責任者:渋谷 敬一
発行所:白石バプテスト教会

今月の聖句 

「平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。私は彼をいやそう。」と主は仰せられる。(イザヤ書57:19)

 8月です。あの忌まわしい広島、長崎のピカドン原爆投下の悲惨な戦争が甦って来ます。 ドイツの格言の中に「世界の歴史は戦争の歴史である」と言うのがあります。 正に世界の生きている、ライブの歴史の中で一年たりとも戦争のなかった時代はなかったと言えるほど、 人類は愚かな戦争で殺戮を繰り返してきました。 今日も、ウクライナとロシア、シリヤ、パレスチナ、アフリカ、モザンビーク、ミャンマーと戦争内乱が後を絶ちません。 国家や民族だけでなく、悲しい事に個人的な人間関係でも、最も親密であるべき家族の中にさえ傷害や殺人が絶えません。 裁判所は裁判の日程調整に忙しく、拘置所は入所者が絶えることがありません。 誰もが幸せを願い、平和を祈り、平和の運動を支持しているのに現実は戦いが止むことがありません。 言過ぎでしょうか。 その原因はただ一つ、裁きの神はいないと豪語して自分の罪の欲のおもむくままに生きる人間が多くなっているからです。 神がその欲深い人間を救い、癒し、世界中に平和をもたらすために、イエスキリストをこの世に遣わされました。 キリストは平和の使者です。 キリストは私たちの平和であり、二つに分かれた罪の壁を打ち砕いて一つにするために十字架の上で血を流し、 罪の赦し。贖いを成し遂げました。 神の怒りを宥め、神と人間、人間同士の間に和解と平和を作りました。 キリストは争いの原因である我欲の罪を赦し、癒し、 清めるために私たちの罪の身代わりとなって血の刑罰を受けました。 「どうか平和の神ご自身が、あなたがたと共にいて下さいますように」(ロマ書15:33) 「罪を悔改め神に立ち返り全世界に平和が来ますように」とキリストにあってひたすら祈るのです。   

終末論 死と死後について(1) 人はなぜ死ぬのか死後はあるのか。世界の終りはあるのか。

問: この世に生まれた私はやがて死を迎えるのですが、死はどのようなものでありまたなぜ死ななければならないのかなど聖書ではどのように教えているのでしょうか。

答: 聖書は万民に及ぶ不可抗的な死は神の定めであり、人間の罪に対する神の裁きであると教えています。しかし罪を悔い改めてキリストを信じる人は永遠の命が与えられます。ヘブル9:27,28.ヨハネ3:1,17.

 人間は誰でも三つの時を経ます。生まれる時、生きている時、死ぬ時です。 今生きていますが死ぬ時が必ず来ます。ですから“人間は死ぬべき存在”であり、 ある作家が言うように“人間は死ぬために生まれて来た”と言うほどに死はまがいもない現実です。 死はこの地上にある私の全てのものを剥奪する恐ろしい刺を持つ人類の敵です。 しかし「死は勝利に呑まれた」。死のとげによって朽ちるものとされた者がキリスト信仰により 「死は勝利に呑まれた」と感謝を歌い上げる使徒パウロの言葉です。1コリ15:55,57. 「死」とはどのようなものでしょうか。経験したことがないのでどのようなものか体験的事実を語ることができません。 死についての色々な説明がなされています。 辞典的には“すべての生物に最終的に起こる生命作用の完全な停止”(脳死による判定)とあります。 プラトンは“死は魂を肉体から解放すること”と考えました。 死は自我の消滅である、無となること、来世への旅立ちなど人様々です。  それでは聖書はどのように教えているでしょうか。 死は地上の生涯の終りですが神学では終末論の範囲に属し歴史的世界の終末論〈世の終り〉と個人的終末論 (死と死後)の教理があり、今回は後者の個人的な死と死後の問題を取り上げます。  先ず第一に聖書の示す「死」の意味はどのようなものでしょうか。 聖書は死は消滅ではなく、人間の肉体と魂の分離であると教えます。 人間は肉体が全てではなく、肉体と魂(非物質的霊)を持つ人格です。 死によって肉体は塵に帰りますが、霊は神のもとに帰ります(創2:7;3:19; 伝12:7,)

聖書は死が肉体と魂の分離でありそれは神の裁きとしての死であり、神からの分離を意味する死でもあります。 使徒パウロは神から離れた罪深い生活をしている人は神のいない死人であると述べています。(エペ2:1,12) ステパノの死は彼の霊が天に迎えられたことを示しています〈使7:54-60〉 使徒パウロも肉体から離れてキリスト共にいることの幸いを語っています。ピリ1:22-24。 新生信者の死即ち肉体と魂の分離は祝福の門と言うべきでしょう。 主イエス様が迎えて下さるからです。ヨハ14:1-3。 死が恐ろしいのは神から分離した死人同様の者がその肉体が死にその魂が神から全く捨てられる永遠の滅びとなることです。 黙20:13-15。それでは、神の息吹きによって神の似姿に創造された人間が(創世1:26,27;2:7) なぜ“死ぬために生まれた”と言われるのか。 人は人間が死ぬのは当たり前、自然なことである。生まれた者は死ぬ、それで万事終りと言って、 何故死ぬのかはあまり問わない。しかし聖書は死の原因を示し、死から救われる命の道をも教えています。 それはイエスキリストによる救いの道です。(ヨハネ14:6;3:16)。 へブル書9:27では「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受ける事が定まっているように」とあり、 人間の死は神が定めた事であると宣言しています。ではなぜ神は死を定めたのか。 その理由は、全人類の頭である最初の人間アダムが神に対して罪を犯した事への刑罰として死が全人類に及んだと聖書は教えています。 ロマ5:12で使徒パウロは「そういうわけで、ちょうどひとりの人(アダム)によって罪が世界に入り、 罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです」と説明しています。アダムをかしらとして一体となっている全人類の犯した罪に対する刑罰が死であると死ぬことの理由を語っています。 「義人はいない。一人もいない」正にすべての人は罪を犯したので神の裁きとして死が全人類に及んだのです。 その罪のもたらす堕落した姿はロマ書の1-3章に描かれています。 このなんとも恐ろしい死の針もキリストの十字架の死による贖いの御業により滅ぼされ永遠の命の道が備えられました。ヨハ3:16;ロマ3:23,24. 罪を悔改めイエスキリストを救い主として信じ従うクリスチャンは死からの復活の勝利が約束されています。 信者はすでに死からいのちへと移されているのです。死はいのちの消滅ではありません。 聖書は「死後裁きを受ける事は人間に定まっている」へブ19:27; 「神の正しい裁きの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。 神はひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。 神にはえこひいきなどはないからです。」ロマ2:5,6,11。いのちは死で終わらないのです。
     渋谷 敬一 協力牧師・教師

ハレルヤ・声の広場



兄姉の証し(1)   T.T

感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい

 最近目にしたトラクトに、 「人生には2つの生き方がある。1つ目は自分のために生きる生き方、 2つ目は神のために生きる生き方です。」とありました。  世の中の多くの方は、ほとんど自分のためだけに生き、 それは、いつも自己中心であって、よく問題が起きたり、事件が起きたり、犯罪が起きたり、 殺人などが起きます。今の世の中をよく表していると思いました。 2つ目の神のために生きる人生というのは、神様を第一にして、自分のことは後回しにして、 人のことを考える。この生き方は、神と人に喜ばれ、神様に祝福されます。  私はいままで生を受けて60年を超えました。 神様に導かれクリスチャンとなったのは20才の時でした。 これまでいろいろな事がありましたが、今も私を生かしてくださっています。 そして神様に愛されて、日々の生活を神様第一にと変えられたことを感謝しています。 いままで健康が与えられ、今も保育士として仕事が与えられ、 神様とともに周りの子どもたち、そして先生方と毎日を送る喜びを感じています。 子どもたちの日々の成長を保護者の方と共感し感動しあって、ともに幸せを感じています。 神様は、私達ひとりひとりに与えられた使命、賜物をあたえてくださっています。 これから仕事や生活を通じて、自分のためでなく、人を喜ばせるために、 愛すること、感謝すること、歌うこと、を教えてくださった神様に、残された日々をささげてゆきたいと思います。 最後に、み言葉、そして賛美をささげたいと思います。
コロサイ人への手紙3章14〜16
14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。


<8月雑感>

 福島の7、8月は毎日35度の雨の降らない猛暑続きでした。 暑さの中、首と背中の激痛で整形病院のお世話になり更にコロナ感染と大変な8月でしたが守られました。 癒し主なる主に感謝します。 ベテルハウス周辺の雑草が勢いよく伸びほうだいでしたが、大畠先生、宮本兄が除草奉仕に来られました。 私の体を心配して有坂ご夫妻、福士ご夫妻はじめ多くの兄姉の祈りと御支援をいただきました。 感謝します。築32年のベテルハウス。あちこちいたんで来ていますが、セイ子さんの寝室の床を張り替えました。 車椅子の生活を予想してのことです。 セイ子さんは介護施設でリハビリ中です。お祈り感謝いたします。 来月は白石教会(無牧)の牧師を求めて仙台、東京方面に出かけようと考え祈っています。 皆様の上に主イエス様の平安がありますように。     澁谷敬一


俳句・短歌・川柳・その他

  •  カナカナと夏も終わるか蝉の声(ほでなす)
  •   み救いの道一筋に還暦の半ばなほ声に溢るる福音のおとずれ(松尾節子)
    (松尾姉・故人はエデンの園から三鷹の弘済ホームに転居された敬虔なクリスチャン)
  •  "私は生きている限り主に歌いいのちのあるかぎり私の神にほめ歌を歌いましょう”
     ( お祈り感謝します。現在退院して在宅リハビリ中です。ish )

<折り・とりなし・感謝> 第一テモテ2章:1節

*<祈り・執成し>

教会の働きと兄姉のために:白石BC(無牧・協力牧師教師澁谷)聖十字架キリスト教会、郡山BC(無牧)、東京聖書教会(中山師)高橋清師(創造科学)中野師(教会、神学校)外山師(健康)、満好師(健康)、須賀川BC(柴田師)、田場師夫人(沖縄伝道・健康)岡崎師(台湾)長沢師(韓国)創世グループの働き(野田豪一、信光)、田中館姉(健康)、斉藤姉(健康)、福地姉(職場の働きと健康)伊藤姉(子供、山田師退院)澁谷セ姉(入所、歩行回復)有坂兄姉(働き)、山崎師(健康職務)下山田姉(健康)福士堅兄(神学大学学び)エデンの園〈軽費老〉中村姉(健康)福士姉(弟健康)石山姉(回復健康)宮本兄(働き)交わりの諸教会と信徒の守りと導き。

<来信・感謝>

斎藤姉、福士夫妻、東京聖書、郡山BC、白石BC、福地姉、田中館姉、岡崎姉、長沢師、(韓国)、岡崎正兄、高橋師、山崎姉、野の花誌、TCU,鴫原姉、澁谷兄、大畠師、中沢兄姉、キヨ子・規子姉、宮本兄(8/19除草手伝い)、有坂兄姉、田場夫人、エデンの園、野田豪一代表、野田信光兄、東京聖書(竹口師)、吾妻兄姉、野田姉、下山田姉、松浦姉、佐藤先生、石山姉、福士亮夫妻、岡本姉、山崎師、小山姉、野間姉、大黒師 樋口兄姉、恵み会、バプテスト研究会(東京/トポス) 村上兄(健康回復) 

<8月奉仕>

白石バプテスト教会 主日礼拝説教8/6,13,20,27
8/20 主の晩餐  
学び会 :教会政治;バプテストの信仰〈組織と運営〉、 <他教会との協力関係について> 独立自治と地域教会の連合体との協力 <牧師の生活と教会のサポート> 牧師給について

ベテル便り8月号:恵みの広場誌、原稿、印刷、発送 (8/5-10)
エデンの園便り聖句原稿 8/28 、 面談、訪問 2か所、   
 白石BC役員会8/27 月例会8/27 (創造科学講演会9/17),奉仕分担表作成継続

<9月奉仕予定>

白石バプテスト教会主日礼拝説教9/4,11,17,24
学び会:バプテストの政治:広報活動、週報、他教会との協力関係   
ベテル便り「恵みの広場」誌8月号、原稿、印刷、発送(9/5-10)
エデンの園便り聖句9/27 広場誌原稿9/28  その他 訪問
白石BC役員会9/4 , 月例会9/24 創造科学宣教講演会準備9/4-11予定

<白石BC教会行事>

9月17日 創造科学講演会
10月9日(月曜祝日) (世界宣教祈祷会・ランチバザー)
10月15日 特別伝道礼拝

*ハレルヤ声の広場:掲載原稿募集中 (300字程度):信仰の気づき、証し、詩歌、俳句等 (兄姉の声を賑やかに出し合い祈りと感謝の紙面を作りましょう)  澁谷敬一