よくキリスト教は愛の宗教と言われますが、1コリント13章は至高の愛その愛の素晴らしさをうたっています。 まさに愛の賛歌と言えましょう。私たちがこのような愛を持ち合わせたなら、自分はもとより、 家族、隣人そして世界はどんなにか平和な喜び輝くものとなることでしょう。 使徒パウロは外目ではどんなによく見えても愛がないなら何の値打もないと明言します。 「愛は寛容であり、愛は親切で、人を妬みません、愛は自慢せず、高慢になりません・・・」15に及ぶ愛の特性がリストされています。 このような愛は欲深い私たち人間はだれも持っていません。 でもいのちの主なる神は愛を追い求めなさいと私たちに命じています。 愛はあらゆるものに勝って不滅の価値を持っていると言うのです。神は愛です。 愛の神は救い主イエスキリストを世に遣わして、世人の罪の身代わりとなって十字架に死にその愛を示されました。 罪を悔改めて、このキリストの十字架の愛を信じる人は愛が解りその心の内に愛が息づいて来るのです。 周りの人を大切にしその幸せを願い喜んで犠牲を払う人に変えられていくのがわかります。 新しい年を迎えて、 真の神を信じ神に望みを置き神の愛を追い求めながら愛の人にならせて下さいと祈ってまいりましょう。
2023年元旦にあたって全てのことについて感謝する一年となることを願い、
1テサロニケ5:16-18から幸せを呼ぶ三つの秘訣を学ぶことにします。
使徒パウロはテサロニケ教会に送った手紙(全ての兄弟たちが読むべき手紙5:27)
の中で主の再臨と裁きの苦難の日が突然襲う事を語っています。3,4節。
しかし、主を信じる教会は苦難に会いますが、どんな時でも救われることを約束され、
主が共にいて下さるので慌てることなく教会として<今している通りに>互いに励まし、
徳を高め、光の子らしく、隣人愛の実践、教会の秩序の維持に努め励むことを勧めています。
世の終りにあたって如何に生きるか。すべての人の善・幸せを願い実践する事でした。
16-18は神が求め望まれる個人的実践です。
”喜び、祈り、感謝する”のトライアングルはクリスチャンに対する神の三つの望みであり命令です。
それは教会の力となります。新年にあたり、
今年は神のお望みにお答えする信仰の豊かな幸せを体得する秘訣を身に着ける年としたいと思います。
神の望まれる三つの命令、心得の第一は16節<いつも喜んでいなさい>です。
喜べない現実の中での神の願いは<いつも喜んでいなさい>です。
嬉しい時も悲しい時もいつも喜べる心を持つことです(2コリ6:10)
喜びに変える力は希望を神の約束につなげて生きる事です。
その人の心は喜びがあふれます。1ペテ1:,5,7,9。
神が全てを益として下さるロマ8:28。
主の恵みを数えるのです。詩103:3。
そうだ喜ぼうと言い聞かせることです。神の永遠の保証に思いを寄せて大丈夫とする信仰です。
第二は<絶えず祈りなさい>神との深い心の霊的触れ合い交流、神を呼び、叫び、願い、信じます。
喜びは心で感じる者であり、心が喜びに満たされるのは神との心の交流祈りによってです。
神に絶えず心を向ける時に平安と力、確信、決断そして全てを委ねて生きる人に変えられます。
祈りは呼吸です。
恵みの導管です。信者の生きる力は祈りによるのです。
<絶えず祈りなさい>いつでもです。祈りのない人の信仰は死んでしまいます。
第三は<感謝しなさい>詩103:2.主が良くして下さった主の恵みの数々、自然の恵み、取り巻く人々、
一人で生きるのではない。
自分の思い通りになった時や沢山の賞賛や物質的豊かさに感謝は勿論ですが、
嫌われる事思うようにはいかない事、犠牲や、苦労が伴い、病や貧困になること、失恋する事、失業する事、
どうにもならない時も<全てに感謝する>つまりあらゆる状況の中ですべての事に感謝する生き方です。
このような心の配置には神の全面的な摂理を信じ未来を望み、
遂にはすべてが感謝となることを見据える信仰の視座があります。
すべての事が感謝となります。ロマ8:28。神の御心としての感謝で終わる生涯は日々の感謝の積み重ねです。
今年も喜びを数え祈りの中に感謝を数え続けて恵みの神に感謝しそして取り巻く家族、仕事仲間、
隣人に心からありがとうと言える幸いな年、感謝の年といたしましょう。
渋谷 敬一 協力牧師・教師
白石での元旦礼拝の説教奉仕に続く5日の創世グループの新年礼拝での奉仕から、 早くも一か月が過ぎようとしています。年を取ったせいでしょうか日の経つのが速すぎます。 “少年老い易く学成り難し一寸の光陰軽んずべからず”の言を思い出しました。 “世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神のみこころを行う者はいつまでもながらえる”とのみことばもあります。 コロナ感染から、ウクライナ戦争、そして世界中を巻き込んでいる混乱の真只中で、 62年間私の働きを支えてくれた妻の介護の見習い、節電に心しながらのお助けマン1号となりました。 早6ヵ月です。時を買い占めて今出来る事を精一杯することが主の御心と受け止めています。 昨年90歳で天に召されたY姉が息子に背負われて礼拝に出ておりました。 素晴らしい光景でした。老いる事の現実を目の当たりにし、過ぎ行くこの世、朽ち行く我が身ですが、 白髪になっても背負い続けると言う主のお約束は老い行く者の慰め、望みの力です。 みことばの奉仕と祈り、ミニコミ誌の作成、 主にあっての諸兄姉との交流と主の恵みを数え上げて感謝の今を生きています。 皆さまのお祈りとご支援に心から感謝いたします。 皆さまの上に主の祝福が豊かにありますように祈っています。 澁谷敬一・セイ子
私の2022年をふりかえってみて
漢字一文字で表すと「感」でした。
(1)感動 保育士として一年間関わった子供たちの素直で飾らない屈託ない
会話を通して毎日のようにいろいろな発見があり、気付きがありました。
忙しい毎日でしたが、
子どもたちは純真で、なんと愛らしいことでしょうか、
このような子供たちを作ってくださった神様の業に感動、感謝です。
(2)感染 コロナ感染が世界中、日本で蔓延しました。注意して対策をして毎日を
送っていましたが11月中旬に感染してしまいました。ワクチン接種していても
感染を避けられませんでした。でも、早く回復し、いろいろな方々からの支援があり、感謝でした。
(3)感謝 神さまとともに日々生活し、恵みが与えられ心豊かに信仰生活が送れました
ことを感謝します。そして歌うことを教え導いてくださっていることに感謝します。
(コロサイ3章16節)
キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、
互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
二本松教会から、阿部 恩(めぐみ)姉がクリスマス礼拝・祝会に、ピアノ演奏のために来てくださいました。
「詩と賛美と霊の歌により」を演奏していただき、賛美することができましたこと本当に感謝でした。