2022年 5月
「愛は隣り人に対して害を与えません。
それゆえ、愛は律法を全うします」
(ローマ人への手紙13章10節)
五月の第二日曜日は「母の日」で、カーネーションの花を捧げてお母さんに感謝する日です。
母親の産み育てる犠性的労苦は何物にも代え難い真実な愛です。愛なる神は人間に愛する心を与えられました。
愛は隣人に悪を行わず、隣 人の幸せのために喜んで犠牲を払います。
優しい母の姿は、神の求める愛を満たしているのです。しかし現実はどうでしょうか。
悲しい事に、私利私欲に駆られ、愛を忘れ子の養育をおろそかにする親たちが目に着きます。
「愛は隣人を害さない」本心に帰って「お母さんありがとう」と心から言える愛の人になりたいと思います。
神は愛です。神は私たちに行動する愛を求めておられます。
私たち人間は知性や良心を持つ精神的存在です。 事柄を知り、判断し、推理して行動しています。私たちは周囲にあるものや起こる出来事には必ず原因・理由があると考えます。 なぜ、どうして?とその原因を探り調べ解明しその結果を生活に役立てています。 その事は科学の世界や人間の心の世界にも当てはまります。 太陽系を含む宇宙の起源や私たちの住む地球はどのようにして誕生したのかを探ることは原因探求の作業と言えましょう。 何故?の答えを求める働きです。 宇宙や自然の法則、地上の四季の移り変わり、 循環による生命の維持などを考えるときそれらは偶然に存在するようになったのではなく、 そこには 合目的原因によって計画された結果としての万物の存在であると推測するわけです。 人間に目を止めて見るなら、人間は、正邪善悪、正義、公平などの義務を判別する生来の基準を持っています。 人間は間違いなく道徳的、良心的存在です。 人間の良心や道徳に起源(原因)を追求していくときに人間の存在自体が道徳的な人格的原因者に起源があると推定するのです。 では人間を含む宇宙万物を生み出した知的道徳的力ある存在(原因)は何であるのか,あるいは誰であるのでしょうか? その答えは私たちが想定する神観念に見る事が出来ます。
しかし、残念ながら人間は罪に堕落したため霊なる神を否定し自分の神々を造りそれを神としました。 しかし、神が啓示された聖書は「初めに神が天と地を創造した」創世記1:1「天は神の栄光を語り告げ、 大空はその御手の業を告げ知らせる」詩19:1「神の目に見えない本性,すなわち神の永遠の力と神性は、 世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、 彼らに弁解の余地はないのです」 ロマ1:20 と宣言します。 このように聖書は、聖書に啓示された神が万物存在の原因者、創造者であると語ります。 万物存在はその起源である第一原因を要求します。 そして万物の始源者が他の何者でもなく聖書の示す神であると確信し宣言するためには、 見えない神を信じる信仰が必要となるです。 「信仰は望んでいることがらを保証し、目に見えない者を確信させるものです。」ヘブル11:1。
渋谷 敬一協力牧師
思念の証し: 僕が最近痛感していることは神様が僕を作ってくださっているという事です。 僕は造られた存在である。だから神様を信じて一歩一歩歩んで行きたいと思っています。 僕は神様が好きです。イエス様が好きです。だから神様が僕の事を作ってくださった事をとても嬉しく思っています。 僕は造られた人間として謙虚に恭しく、献金もしてできるだけキリストの教えを広めたいと考えています。 頑張りましょう。僕は心から心から神様を愛しています。 だから神様も心から心から僕を愛して下さっている、万事は益となる世界ですね。 僕はクリスチャンの皆さんを愛しています。アーメン。(Y.K)
被爆者2世として生まれ、 神への反抗を繰り返し自分が罪人とも知らず生きボロボロになって辿り着いた教会に小二の時の日曜学校の渋谷牧師がおられ、 メッセージの中で「鼻持ちならない」という言葉にハッとしたのは私の事だったからと理解し、価なしに救われました。 委ねる時ケチになって少しだけ委ねるのは違うと思い知りました。 末期がんから17年、私の生きるは神の不思議と痛感します。 コロナで人との関わりが少なくなったが御霊様との濃厚接触によって保たれる日々を感謝すべきと思います。 (ローマ7章24節、25節) (TK) 24 私は、ほんとうにみじめな人間です。 だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。 ですから、この私は、心では神の律法に仕え、 肉では罪の律法に仕えているのです。
イースターおめでとうございます。
イエス様がよみがえってくださって、私たちは天国へ行ける切符を持っていますから、 本当におめでたいことです。
私は今年71歳になりました。これまで、多くの方々にお世話になり、助けられてきましたが、 さらにありがたいことには、私を教え励ましてくださる方がおられます。 その方は、イエスキリストさまです。生きていても死んでいたと同様な生き方をしていた 私が、この方によって、感謝と希望の日々に変えられたこと、本当に感謝しております。 私は、高校生の時に初めて聖書を読みました。K高校に村田町から通学していたのですが、 通学途中、市内の本屋さんに聖書があったので、買い求めて、帰りの電車の中で読みました。 その中にあった言葉、「はじめに神が天と地を創造された。」を読んで、 神さまがこの世界と私たちを作ってくださったことを知って、心から感動しました。その時は、 教会も知らず、行くことは無かったのですが、高校を卒業して、地元の電力関連の機器を製造するT社に就職しました。 就職して2年目になると、仕事にも慣れ、目標が見えなくなり、やる気も無く、無気力 になってしまい、生きていても死んでいるような心の状態でした。 そんなおり、休みに仙台まででかけ、名掛丁を歩いてた時、トラクトを配布している教会の人たちに出会いました。 そのチラシを頼りに初めて教会を訪ねました。仙台駅の東側で個人宅で開いていた教会でした。
そこで語られた聖書の言葉「罪の報酬は死である」この言葉が強く心に残りました。 そして、人間を造られた神さまを認めないことで、自分勝手な生き方をしていることは罪である。罪は 罰せられなければならず、イエスさまがその罪の身代わりとなって死んでくださり、よみがえった事を教えられ、 また新しい命が宿るのだと教えられました。 このような事を教えられ、神さまが用意してくださった救いの道を知りながらも、自分の力で、なんとか しようと、神さまから離れた生活をしていました。それほど自分は罪が深く傲慢な人間だと、それから 3年ほど東京に行き仕事をしたのですが、またこちらに帰ってきました。そしてお金が無くなって、頼る人 もなく、途方に暮れていました。そんな時、再び教会に行く機会が与えられました。当教会が沢端川、 番町に在った時、O先生からヨハネ1章12節の言葉が示されました。 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」 私はこの言葉に従って、自分は罪人であることを認め、悔改め、キリストが私の代わりとなってくださった ことを信じる決心をしました。あれから50年の歳月が流れ、罪の性質は今もまだ残されていますが、 聖書の言葉と、私の心の中におられる聖霊の声に聞き従うことを目的にしています。 私の国籍は天にあります。イースター昇天者記念会のここに居る8人の天に召された方々と、みなさんとともに、 天国で、感謝を賛美し礼拝できることを楽しみにしております。
白石バプテスト教会主日礼拝説教 5/1、8、15、22,29
5/27 創世・三育学園理事会、評議員会知人訪問
5/24 エデン便り原稿、17、29、31、恵みの広場誌原稿
5/22 白石BC 教師就任式
5/21 村上兄 お母様通夜式
訪問、面談 4カ所
白石バプテスト教会主日礼拝説教 6/5, 12, 19, 26
学び会「礼拝:司会、賛美、証し、祈り等」
6/4 ペンテコステ記念礼拝
6/4ー10 恵みの広場誌 印刷 発送予定
6/17 創世理事会
訪問 面談 数人予定
4月イースター礼拝、記念会、誕生会
5月8日 母の日感謝会
6月19日 父の日感謝会
斎藤姉、長沢師、下山田姉、田中館姉、岡崎姉、後藤師、 高橋師、野の花誌、田場師、柴田師、郡山bc、東京聖書教会、 山田兄姉、吾妻ご夫妻、斉藤優子姉、