礼拝           2025・8・24 

 

祈 り
賛 美  聖歌91 ああことばのかぎり(1-4)
交 読  交読文30 詩篇 96篇
主の祈り
献 金       BGM:378
賛 美  聖歌434 きたれたれも 
賛 美  聖歌232 つみとがをゆるされ  
聖書朗読  ガラテヤ2:1〜10
説 教  渋谷 敬一 師
    説教題『 福音信仰の擁護 』
賛 美   聖歌465 よびとのとがのために 
祝 祷
報 告
メモ
2章
1 それから十四年たって、私は、バルナバといっしょに、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。
2 それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。
3 しかし、私といっしょにいたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼を強いられませんでした。
4 実は、忍び込んだにせ兄弟たちがいたので、強いられる恐れがあったのです。彼らは私たちを奴隷に引き落とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由をうかがうために忍び込んでいたのです。
5 私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。
6 そして、おもだった者と見られていた人たちからは、――彼らがどれほどの人たちであるにしても、私には問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません――そのおもだった人たちは、私に対して、何もつけ加えることをしませんでした。
7 それどころか、ペテロが割礼を受けた者への福音をゆだねられているように、私が割礼を受けない者への福音をゆだねられていることを理解してくれました。
8 ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
9 そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。
10 ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たところです。
( ガラテヤ2:1〜10   )
----------今週のみことば----------
5 私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。 ( ガラテヤ2:5 )
5 to whom not even for an hour did we yield in subjection, that the truth of the gospel might continue with you.
-------------要約----------
     
  • <目的>キリストの福音(信仰義認)擁護のために戦う使徒パウロの活動の証しに学ぶ。
    <序>1:1偽教師たちの呪われるべき偽の福音の教えに移っていくガラテヤの諸教会に対して、使徒とされたパウロの受けた啓示の福音が唯一無二の福音であることを実体験から弁明擁護する。2:1-10は二回目のエルサレム訪問により、主だったエルサレム教会の指導者、ペテロ、ヨハネ、主の兄弟ヤコブたちに会いパウロの伝えた福音と神の召された使徒権が問題なく容認されたことを記した。ガラテヤ人は唯一無二の正しい福音によって救われたのである。
    <本論> 異邦人の使徒パウロの伝えた福音は使徒たちの福音と同じ福音である。1-10
    Ⅰ、1節<それから14年たって再びエルサレムに上った>二回目のエルサレム訪問であった。1:18.<それから>がパウロの回心から3年を含む14年とすればAD47頃。2-3節 <バルナバとテトス>の同伴はアンテオケ教会での働きやキリキヤのタルソ周辺伝道の証し。(使徒9,11章)バルナバの橋渡しの役割は素晴らしいものであった。テトスはユダヤ人クリスチャンの偏見を取り去るキリストの福音の生き証人であった。(無割礼の者の信仰義認)。パウロは主から受けた福音が<無駄にならないために>手をつくした。エルサレム教会の主だった人々、ペテロ、ヨハネ、主の兄弟ヤコブと信者たちに対してテトスを紹介したが、<割礼を強いられず>パウロの福音宣教と使徒性が受け入れられた。9節。パウロの伝えた福音は補足修正無しで容認されたのである。
    Ⅱ、4-5節<実は忍び込んだ偽兄弟たちがいたので>エルサレム教会にも各地方のユダヤ教的クリスチャンと同様にキリストの福音に反対するユダヤ人たちがいた。使15:1-5。そして福音がゆがめられ、テトスの割礼が強いられる危険があった3,4節。パウロはテトスの例を挙げて福音信仰による律法からの束縛からの霊的解放<自由>を<うかがい>攻撃して、律法の<奴隷>に縛り付けようとしている偽兄弟の<忍び込む>行動の危険をガラテヤ教会に知らせた。ガラテヤに入り込んでいた偽福音の教師たちに対して、パウロは<福音の真理が擁護され、保持される>ために<偽兄弟たち>に対決し<一時も譲歩しない>パウロの福音擁護のための熱情を見るのである。2;20,21。ピリ:20,21。
    Ⅲ、6-9節<おもだった人たちから>パウロとバルナバの異邦人への福音宣教は歓迎され容認された。 1)<何も付け加えなかった>人の承認を必要としないパウロだが、使徒たちと同じ福音であることの確認を得た。2)ユダヤ人への福音はペテロに、異邦人への福音はパウロに神が<ゆだねられた>ことを確認した。<御業をなした>聖霊の力使1:8;2コリ12:12.(使徒権の問題)。3)<この恵みを認め>神からの宣教の働きを認め、<右手を差し伸べて>歓迎し喜びユダヤ人と異邦人への宣教を励まし合った。パウロの受けた福音が本物であることが確認された。偽の福音に惑わされてはならない。
    <結び>10節。 <貧しい人々を顧みるように>パウロの模範、それは愛の御業、福音信仰の証しである。
     

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hana


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