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13篇
指揮者のために。ダビデの賛歌
1 主よ。いつまでですか。
あなたは私を永久にお忘れになるのですか。
いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。
2 いつまで私は自分のたましいのうちで
思い計らなければならないのでしょう。
私の心には、一日中、悲しみがあります。
いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。
3 私に目を注ぎ、私に答えてください。
私の神、主よ。私の目を輝かせてください。
私が死の眠りにつかないように。
4 また私の敵が、「おれは彼に勝った」
と言わないように。
私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。
5 私はあなたの恵みに拠り頼みました。
私の心はあなたの救いを喜びます。
6 私は主に歌を歌います。
主が私を豊かにあしらわれたゆえ。
(詩篇13:1〜6)
----------今週のみことば----------
15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助け出そう。
あなたはわたしをあがめよう。」
(詩篇50:15)
15 and call on Me in the day of trouble; and I will deliver you, and you shall glorify Me.
-------------要約----------
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<目的>絶望的試練・苦難に勝利する秘訣は主を呼び求める必死の哀願にある。詩50:15
<序> ダビデの賛歌の一つで神の助けを切望する個人的嘆き,哀歌の詩の一つである。
絶望的体験の中の悲願:ダビデ・エレミヤ・アブラハム・モーセ・ダニエル苦難の祈り。
苦難と絶望の中でキリスト信者は何をすべきか。神に訴える(ヤコブ5:13;詩50:15)
<本論> 絶望と思われる時にも、主を信じて熱い思いで哀願悲願の祈りを続ける。1-6
1, 1-2節<主よいつまでですか。>絶望の中で神信仰の迷い疑う魂の苦悩の問題。
主を信じている者の苦難の中で全く救いのない絶望的状況と思える苦悩を示す。
主と私の関係、個人的人格関係<主よいつまでですか>の叫びの中身:4回の使用は苦難の切実さ、苦悩を示す(1,2)重苦しい中での神なる主への訴えの理由が語られる。
1)<永久にお忘れになるのですか>関心関わりなし、無視。孤独(捨てられたキリスト)。
2) <御顔を隠したのですか>神に見られない、祝福のない恥ある立場
3)<自分の魂の中で>助けなく、心の混乱は自分で解決、無力の自分に絶望と悲しみ。
4)<敵が勝ちおごる>無力なみじめさ、恐怖と恥、主の栄光とはならない、無念さなど。
四面楚歌。どうにもならない絶望感おなかで、神の助けが見えない無力さ。その現実を必死の思いで、作者はその心のありのままを主に訴えている。<いつまでですか。助けて下さい>と神に訴えている。<主>と<私>の霊的信仰の人格(魂)関係の中での求め。
Ⅱ,3-4節<私の神、主よ。私に目を注ぎ私に答えて下さい>助けを求める必死の祈り。
苦難と絶望の中で、主(ヤハウェ)なる私の信じる神に窮状を訴え、必死に救いを願う。
1) 3<私に目を注いでください> 神はエルロイ見たもう神である。全知の主の慈愛の
御業を信じる信仰。<答えて下さい>窮状からの救いの行動を求めての祈り。詩50:15。
2)<私の目を輝かせてください>光により見えるようになり、輝きの活力が出る。
盲人バルテマイの願いと行動(マコ10:51,52)イエスは目を留め何をしてほしいのか?と.
3)<死の眠りにつかないよう> 眠りは死を象徴する。ここでは、輝きの生活との対比から、動きの取れない敗北絶望を<死の眠り>と意識した表現と採る。
4)<敵が勝ったと言わないように><よろめいたと言って喜ばないように> 敵の前
に敗北の恥をかかない<よろめかない>信仰の勝利の姿、主の栄光を表すために。
*神に呼び求める窮状の訴え、必死に救いの祈願、恥をかかない主の栄光を求める信仰。
Ⅲ、5-6<あなたの恵みにより頼みました>苦難から望みと信頼に生きる喜びの心に。
主への信仰の必死の祈りは主の恵みの救いのほめたたえに変わる。祈りの力ある結果。
1)5 神の<恵み>ヘセド、真実の神の慈愛の御業を信じ、より頼む者に変えられる。
2)<あなたの救いを喜ぶ>試練苦難からの救いを確信し心から救いのあることを喜ぶ。
3)6 <主に歌を歌う>ヤハウエの真実な救いを心からほめ歌う<私を豊かにされたから>
<結び>切実な祈りは答えられ主のほめたたえとなる。揺るがない平安の祝福を得る。
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