礼拝           2024・10・27 

 

祈 り
賛 美  聖歌91 ああことばのかぎり(1-4)
交 読  交読文47 出エジプト記第20章
主の祈り
献 金  石塚 姉
賛 美  聖歌484 たたえよ救いぬしイェスを
賛 美  聖歌392 神はひとり子を 
聖書朗読 ヨハネ13:21〜38
説 教  渋谷 敬一 師
      (白石バプテスト教会 協力牧師・教師)
 説教題『 新しい戒め 』
賛 美  聖歌298 世にあるかぎり 
祝 祷
報 告
メモ
13章
21 イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」
22 弟子たちは、だれのことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見合わせていた。
23 弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。
24 そこで、シモン・ペテロが彼に合図をして言った。「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」
25 その弟子は、イエスの右側で席に着いたまま、イエスに言った。「主よ。それはだれですか。」
26 イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。
27 彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
28 席に着いている者で、イエスが何のためにユダにそう言われたのか知っている者は、だれもなかった。
29 ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、「祭りのために入用の物を買え」と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。
30 ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。
31 ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。
32 神が、人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も、ご自身によって人の子に栄光をお与えになります。しかも、ただちにお与えになります。
33 子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない』とわたしがユダヤ人たちに言ったように、今はあなたがたにも言うのです。
34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
35 もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての 人が認めるのです。」
36 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
37 ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
38 イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
( ヨハネ13:21〜38 )
----------今週のみことば----------
34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
35 もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての 人が認めるのです。」
( ヨハネ13:34、35 )
34 I give you a new commandment, that you love one another. As I have loved you, you should also love one another.
35 By this all shall know that you are My disciples, if you have love toward one another. 

-------------要約----------
     
  • <目的> 神の子らの実践すべき互いの愛によりキリストの栄光を表すこと。
    <序>イエスは過ぎ越祭の夕食時に、残るところのない愛をもってと弟子たちの足を洗い、僕として仕えることの模範を示された。僕として愛と謙遜の限りをつくして隣人の幸せのために仕える者の模範的実物教育である12-15。
    イスカリオテ・ユダが出て行ったのでイエスは子たちよと愛する弟子たちのために決別の教えを語る。(13:21-16:)。21-30主の弟子(新生信者)は新しい戒めに生きる者となる。 イスカリオテ・ユダはイエスを裏切り弟子の列から離れた。イエスはユダの裏切りを予告し、預言の成就として示し詩41:9、更にパン切れを浸してユダに手渡し、出ていく(裏切りの行動)ようにと促した27,30。他の弟子たちはユダが出て行ったのは夕食の買い物か、貧しい人への施しのためと考えたほどにイエスの言動の意味が分からなかった。この時ユダの心に<サタンが入った>サタンの支配する道具となった27。もはや悔い改める余地はない。それは神の定めた全知の主の主権的秘義である。ユダは外に出て行った29。イエスを裏切り、敵に売り渡し、自らの滅び、イエスの十字架刑に至る暗闇の時である。ここでも主イエスは<霊の感動>を覚えた。苦難の僕主の葛藤の心を見る。11:33,38。31-33イエスは父・御子の栄光を受ける時が来た。贖罪の身代わりの死の時である。イエスは弟子たちに<互いに愛し合いなさい>と新しい戒めを与えられた31-35。互いに愛し合う。主の血の贖いの愛を受け信じて救われた者の<キリストの愛>に倣う愛の実践である(十字架の愛、洗足の模範、極みなき愛)。ヨハ3:16;Ⅰヨハ3:16。<互いに>ユダヤ人・異邦人などの区別差別なき隣人への愛である。ガラ6:9,自分を愛するようにの隣人愛から、自ら犠牲を払って隣人に仕える愛の<新しい戒め>である。自己中心的、通り一遍の愛ではない(マタ5:46,47,ガラ5:20,21)15:13。<新しい戒め>である。Ⅰヨハ3:16,17。その結果は<すべての人が認める>35。神の栄光を表す神の喜ばれる証しとなる(1コリ6:20)。36-38ではペテロの熱意と肉の霊的弱さと未熟な我々信仰者の姿が映し出される。主の絶大な忍耐深い赦しの愛を見る。詩103:8,10,13,14。イエスの別れの言葉についての無知なペテロ;36,37今はついて行けない何故?イエスの処刑の裁判時、ペテロは三度主イエスを知らないと言い他の弟子たちは四散した。<しかし後にはついてきます>21章。復活後の聖霊の助けと共に派遣される弟子の働き(マタ28:19,20)となる。私は世の終わりまで共にいる。愛のわざは宣教と共に。使4:13。天国までの主の守りがある14:1。
    <結び>新しい愛の戒めを実行し神の栄光を表す新生信者として生きる(世と世の欲によらず)1ヨハ3:16,1コリ6:20。
     

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hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。





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