礼拝           2024・10・20 

 

祈 り
賛 美  聖歌89 たたえまつれ 
交 読  交読文46 詩篇148篇 
主の祈り
献 金  高橋 姉
特別賛美  渋谷 師  
賛 美  聖歌610 ああイェスきみ、こよなき友よ 
聖書朗読 ヨハネ13:1〜20
説 教  渋谷 敬一 師
      (白石バプテスト教会 協力牧師・教師)
 説教題『 洗足の教え 』
主の晩餐  配餐・感謝の祈り:中村兄
賛 美  聖歌555 きたれなれを清むれば 
祝 祷
報 告
メモ
13章
1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、
4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
7 イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
9 シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない」と言われたのである。
12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。
13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。
14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
16 まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。
17 あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。
18 わたしは、あなたがた全部の者について言っているのではありません。わたしは、わたしが選んだ者を知っています。しかし聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた』と書いてあることは成就するのです。
19 わたしは、そのことが起こる前に、今あなたがたに話しておきます。そのことが起こったときに、わたしがその人であることをあなたがたが信じるためです。
20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。」
( ヨハネ13:1〜20 )
----------今週のみことば----------
14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
( ヨハネ13:14 )
14 If then I, the Lord and the Teacher, have washed your feet, you also ought to wash one another's feet.
-------------要約----------
     
  • <目的> イエスの洗足の模範に倣い、僕として互いに仕える者となる。
    <序>13:1節 ヨハネ福音書は共観福音書にはないイエスの“過越の食事”の時の重要な出来事と教えを伝えている。13-17章は十字架の死を目前にしてイエスが12弟子に語られた遺言とも言うべき教説である。13:1-20イエスの洗足の模範とその教え、互いに足を洗い合うことの祝福を学ぶ。
    1節、過ぎ越しの食事を目前にしてイエスは弟子たちとの別れの時が真近である事を知り<その愛を残りなく示された>。世にある弟子たちに対する余す所のない愛を示し、その愛は屋上の間での主の教えの全体に漲っている。(神の愛、弟子への愛、互いの愛)世の救いのための贖いの愛である(3:14-16)。*弟子たちに対する決別の言葉は何か、残すものは?イエスの愛の戒めと孤児とはしない助け主の約束がある。3節,父神の主権的意志の実行の時、贖いの死の実行と父のもとに帰るキリストの<私の時>が来た。それはユダの裏切り、祭司長,パリサイ人,大祭司,ピラト,民衆のイエス処刑の叫びを知り用いて贖いを成し遂げる主権的意志の<知られ>である。それは裁きでなく救う時である。12:47。3-5食事の時に<上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとい、たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗い拭き始めた>3-5イエスは自ら弟子たちに何を残すか。洗足の業によって愛と謙遜をもって仕える僕となるように模範を示された。足を洗いは卑しい僕の仕事である。<上着を脱ぎ>とは命を捨てる犠牲の意味がある10:12。神が肉なる人となり僕として仕え十字架に死ぬ。贖いの主である。マコ10:45、イザヤ52:13-53章。それは汚い足をきれいにする業を通して、霊的意味を伝えている。清めの儀式ではない。<全身のきよめ>(キリストの贖いによる信仰義認と聖霊のきよめ)全浸水のバプテスマと神の教会入会の含味。<足洗い>信者の日々の悔い改めの必要1ヨハ1:9,10を示す。しかし不信仰なユダはきよくされていない10,11。洗足は<主であり師である>イエスが弟子にしたことであり、尊崇されるべきお方主キリストが僕となって弟子の足を洗ったのは、犠牲の愛と謙遜をもって互いに仕えることを教える模範である13.ピリ2:5-8。その時弟子たちは“だれが一番”と言い合っていたルカ22:23.24。<後でわかる> 弟子達の無知の中で7節、祝福の約束をされた17。世界がキリストの洗足の模範に従うなら争いはなくなるに違いない。18-20、ユダは捨てられた(予定されていた)イエスを裏切ったユダ21サタンはユダの心に入った18.27。それは 預言成就として予定され詩41:9,イエスの予告<このことが起こる>した通りになった19。ユダはイエスを受け入れなかった20。イエスの預言の言葉は必ずなるイエスが神の御子キリストである証明となる。
    <結び>20節 主から遣わされる弟子とは主なるイエスを受け入れ、イエスの洗足の模範に倣い、僕として主に仕える神の使者である。主権者の聖霊により宣教へと派遣される使1:9。 洗足の教えに従い、愛と謙遜の限りを尽くして人々の幸せのために仕える僕となることを祈求する。
     

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hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。





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