礼拝           2024・10・13 

 

祈 り
賛 美  聖歌88 わかくさのまきばより 
交 読  交読文45 詩篇146篇 
主の祈り
献 金  中村  姉
賛 美  聖歌522 地のちりにひとしかり 
賛 美  聖歌280 わがため十字架の 
聖書朗読 ヨハネ12:20〜50
説 教  渋谷 敬一 師
      (白石バプテスト教会 協力牧師・教師)
 説教題『 一粒の麦の死 』
賛 美  聖歌396 十字架のかげに 
祝 祷
報 告
メモ
12章
20 さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシヤ人が幾人かいた。
21 この人たちがガリラヤのベツサイダの人であるピリポのところに来て、「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。
22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。
23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。
28 父よ。御名の栄光を現してください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」
29 そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ」と言った。
30 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。
31 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
32 わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
33 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。
34 そこで、群衆はイエスに答えた。「私たちは、律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、どうしてあなたは、人の子は上げられなければならない、と言われるのですか。その人の子とはだれですか。」
35 イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。
36 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」 イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。
37 イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。
38 それは、「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。また主の御腕はだれに現されましたか」と言った預言者イザヤのことばが成就するためであった。
39 彼らが信じることができなかったのは、イザヤがまた次のように言ったからである。
40 「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」
41 イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである。
42 しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。
43 彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。
44 また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。
45 また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。
46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
47 だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
49 わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。
50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」
( ヨハネ12:20〜50 )
----------今週のみことば----------
24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
( ヨハネ12:24 )

-------------要約----------
     
  • <目的> メシヤ王イエスの死と永遠の命の救いのための絶大な愛の必死の招き
    <序> 20-22 子ロバに乗られたイエスのエルサレム入城は預言の成就であり平和の王キリストの勝利の入城の前味であった。20祭りに来たギリシャ人を前にしてのイエスの教説は、イエスの語り続けてきた一連の説話のまとめである24。23-25キリストの贖いの御業と愛の招きに対するユダヤ人の不信仰の結末が述べられる。異邦人(エペ2:11-13)を含む巡礼者、群衆に対してイエスは自ら一粒の麦として死に全世界の救い主として永遠の命の実を与る神の愛が語られる。23-26。23<栄光を受ける時が来た><一粒の麦の死>は<多くの実を結ぶ>世界中の教会は多くの実である。涙の種まきが喜びの刈り取りとなる、自然の理。25,26命をこの命は<世の命を憎む者>は神なき自己愛の生き方と別れ26キリストに仕え従うキリストの苦難と栄光に与る者である。キリスト共に生きる者に報い(栄光の座)がある。27-36イエスは栄光の時を目前にし、全き人・神の御子キリストとしての苦悩の叫びと栄光の結実を語られる<心騒ぎ、何と言おうか、私をお救い下さい>ゲッセマネの祈り十字架上の叫びにおいて、罪なき全き人イエスの罪の身代わりの犠牲の苦悩と叫びである。それは避難の叫びではなく27<このためにこそ、この時に至った> 使命の確認と勝利の確信の言葉(神の栄光)の道程であった。<私の時>贖いの十字架の死の時が来た。28,29天からの声<栄光をすでに表し、もう一度栄光を表そう>ラザロとイエスの復活の栄光の神の確かな保証である。29-36 イエスの一粒の麦の死の教えを群衆は誤解し霊的無知を暴露した。イエスの死は人々を引き寄せるためであったが33 ,不信仰者には裁きとなる。30-33。天からの声はキリストの救いと裁きを承認する。民衆は天からの声を雷、天使の声かと神の声として聴きとれない不信仰である。<人の子があげられる>十字架と復活と天における着座まで。ユダヤ人は地上的永続的可視的王国、世界支配の王なるメシヤキリストが来ると信じていた。34<人の子とはだれですか>イエスを拒絶した。35-36 イエスの必死の招きの言葉キリストを信ぜよと。<光ある中の光を信じ光に生き光の子となれ> 闇が確実に来る。今この時に光なるイエスを知り信じ従う生活に切り替えよ。キリストに倣う生き方をする。<イエスは身を隠された>民の不信仰は神の遺棄、放任の姿。聞く耳のないものに対してである。37-47不信仰な民に対するイエスの愛ある招きの言葉をヨハネが解説する。37< 目の前の多くのしるし><イエスの神からの言葉>をもってのイエスの招きを神の民は受け入れなかった。不信仰は神の看過、遺棄となる。御霊の働きなくしてはキリストを信じることはない。(イザ6:6-10 。1コリ12:3、2:10,14)。イエスを信じる者多数、名ばかりのクリスチャンか。42,43。信じる者はすべて救われるのか。ヨハ10:27,28。1コリ3:15 (火中からの救い)
    <結び>イエスの必死の訴え44-47イエスは神・キリストである。絶大なる神の愛。47<大声で言われた>キリストを信じて救われよ。24,32,36,37,44,47を見よ。十字架の言葉の救いの力を信ぜよ。1コリ1:18
     

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hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。





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