礼拝           2024・10・6 

 

祈 り
賛 美  聖歌91 ああことばのかぎり(1-4)
交 読  交読文44 詩篇139篇 
主の祈り
献 金  石塚 姉
賛 美  聖歌444 われにきかしめよ
賛 美  聖歌263 いのりまつる
聖書朗読 ヨハネ12:9〜19
説 教  渋谷 敬一 師
      (白石バプテスト教会 協力牧師・教師)
 説教題『 子ロバに乗られたイエス 』
賛 美  聖歌403 さかえのかむりを
祝 祷
報 告
メモ
12章
9 大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。
10 祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。
11 それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。
12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、
13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。
「ホサナ。 祝福あれ。 主の御名によって来られる方に。 イスラエルの王に。」
14 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。
15 「恐れるな。シオンの娘。 見よ。あなたの王が来られる。 ろばの子に乗って。」
16 初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行ったことを、彼らは思い出した。
17 イエスがラザロを墓から呼び出し、死人の中からよみがえらせたときにイエスといっしょにいた大ぜいの人々は、そのことのあかしをした。
18 そのために群衆もイエスを出迎えた。イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからである。
19 そこで、パリサイ人たちは互いに言った。「どうしたのだ。何一つうまくいっていない。見なさい。世はあげてあの人のあとについて行ってしまった。」

( ヨハネ12:9〜19 )
----------今週のみことば----------
9 シオンの娘よ。大いに喜べ。 エルサレムの娘よ。喜び叫べ。 見よ。あなたの王があなたのところに来られる。 この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。 それも、雌ろばの子の子ろばに。
( ゼカリヤ9:9 )

-------------要約----------
     
  • <目的> 子ロバに乗ってエルサレム入城したイエスはメシア王の勝利を示す予表である。
    <序>9-11 ラザロの復活の御業はイエスに対する熱狂的民衆の人気を得た。祭司長、パリサイ人ユダヤ人指導者たちは困惑し、イエスとラザロの殺害計画を立てた。権力維持のためである。イエスの時が来た。過ぎ越し祭の只中でイエスは公然と子ロバに乗ってエルサレム入城をし、自らメシヤ王であることを示された。9-13 子ロバに乗られたイエスはメシヤ王の勝利の入城の預言の成就。Ⅰ9,12,13,イエスを歓迎する人々とイエスの人気<大勢の人の群れ>の歓迎ガリラヤの巡礼者、ラザロの復活の目撃者、噂を知りラザロとキリストを見たいと好奇心旺盛な人々である。12<その翌日>人々はイエスの<出迎えのために出て行った>18 。    13 <棕櫚の木を取って>また枝を道に敷いて出迎えた。マタイ21:8 。13 そして巡礼歌をもって<大声で叫んだ>巡礼歌(詩118:25,26 )を歌って熱狂的にイエスを歓迎した。イエス歓迎の動機はさまざまであったがその熱狂的歓迎は当局者を困惑させた。19。子ロバに乗られたイエスのエルサレム入城は何を意味したか。14-15。イエスはメシヤ王キリストである。ロバの子を連れて来る事情は14, ロバの子に乗ったイエスの事情(マタ21:1-9)ルカ、マルコ参照。イエスの全知性をしめし、13,預言の成就であった.ゼカリヤ9:9。<ロバの子に乗って>はシオンの王イスラエルの王の勝利に入城の預言である。イエスの行動は王の入城の預言の成就;予言を文字通りに受け止める解釈の姿勢が大切である。<子ロバに乗って>戦いの軍馬ではない。平和と愛と恵みの王の象徴。キリストの王国は霊的王国であり、十字架の謙卑によって実現した。神との和解と平和である。エッケホモ”この人を見よ“総督ピラト<ユダヤ人の王なのか>そうだこの世の王ではない。処刑の犯罪名(ユダヤ人の王)。イエスは、預言者たちの預言したメシヤ王イスラエルの王である。16-18子ロバに乗ったイエスの姿の意味の理解;弟子たちは後でその意味が分かった。16、キリストの栄光(十字架と復活と昇天)助け主聖霊の教えによる。霊的な理解は栄光を見てからであった。民衆の歓迎はラザロの御業を見てであった。しるしを見ての信仰と出迎え、世俗の王としてであり、霊的救いの内容はない。18公然たるイエスの現れは、正に<神の時><私の時>イエスの定めの時であった。自ら神の御子として栄光を受ける時、十字架の死による神の国の実現であった。それはメシヤ王としての働きの土台である(隅の首石)。
    <結び>19 メシヤ王キリストの死についての理解は、母マリヤ、ベタニヤのマリヤは別にして弟子たちの理解は聖霊降臨の後であった。14:26;16:13(聖霊を受けよ)。神の計画は全地の歴史状況を支配導いて摂理をもって実現する。預言はその通り成就する。預言者たち、大祭司もユダもピラトも民衆そしてロバの子そして霊的無知な弟子たちを含め、神の時は実現する。神の預言の御言葉を文字通りに信じることが肝要。預言された再臨のメシヤ王の新しい王国を待ち望む、復活の時を待ち望む信仰生活をする。
     

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hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。





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