礼拝           2024・9・29 

 

祈 り
賛 美  聖歌89 たたえまつれ 
交 読  交読文43 詩篇136篇 
主の祈り
献 金  
賛 美  聖歌655 主がついてれば 
賛 美  聖歌157 われいのちを
聖書朗読 ヨハネ12:1−11
説 教  渋谷 敬一 師
      (白石バプテスト教会 協力牧師・教師)
 説教題『 愛の応答 』
賛 美  聖歌263 いのりまつる 
祝 祷
報 告
メモ
12章
1 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
2 人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
4 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
7 イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
8 あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」
9 大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。
10 祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。
11 それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。

( ヨハネ12:1−11 )
----------今週のみことば----------
18 子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。
( 1ヨハネ3:18 )
18 My children, let us not love in word or in tongue, but in deed and in truth.
-------------要約----------
     
  • <目的> ラザロの復活の出来事に対する様々な反応の中で,マリヤのキリストに対する敬虔と感謝、ナルドの香油の注ぎから献身的愛の応答を学ぶ。
    <序> 過ぎ越しの祭りの六日間前にイエスはエフライムからベタニヤのラザロの家を弟子達と共に訪ね、晩餐に与った。その席上、マリヤは高価なナルドの香油をイエスの足に塗り、自分の髪の毛で主の足をぬぐった。死んだラザロが生き返った出来事に対する人々の様々な反応の中で特に際立つマリヤの献身的愛の模範を学び取る。1-11ナルドの香油の注ぎはマリヤのイエスに対する感謝と献身的愛の証しであった。1-2 ラザロの家での晩餐会の席上、マリヤはイエスの足にナルドの香油を塗った。3節それは<非常に高価で純粋なナルドの香油>であった。イスカリオテのユダは300デナリの値積もりをした。300日の労働賃金に相当する。マリヤは惜しげもなく香油をイエスの足に塗った。しかも、自分の大切な髪の毛で拭きとった.主を崇める謙虚さ、感謝と愛のあふれる行動である。マリヤはイエスの死の葬りの備えとして香油を用いた。死を目前にしたイエスに対するマリヤの精一杯の愛と感謝の応答であった。しかもその芳香は家中一杯に満ち、集まった人々の喜びとなった。マリヤの香油注ぎはイエスキリストに対する信仰者の礼拝と献身の模範的愛を示している。4-6節 イエスの弟子の一人イスカリオテユダの反応が示される。何と勿体ない。貧しいものに施すために使うべきでなかったか。それは他の弟子たちも持っていたごく常識的考えであったが、ユダの心は貪欲で満ち、打算的で、盗み、裏切りで満ちていた。イエスを銀30枚で敵に売ったことからわかる。主を礼拝する者の信仰姿勢が問われる。7節イエスはマリヤの行為を<イエスの死の葬りの日の備えのために取っておいた香油>であると説明している。マリヤのイエスの死に対する直観であったのか。イエスの埋葬の香油はアリマタヤのヨセフとニコデモが香油を塗った。イエスの死の葬りの備えはこの時しかない8。明日ではなく今である。マリヤはラザロが生き返らされた感謝とイエスの贖いの死に対する愛の応答としてどんな犠牲を払っても惜しくはなかった。愛の応答は、献身的犠牲によって証明される。1ヨハ3:16,ロマ12:1。“われ何をなして主に報いし”である。9-11では取り巻く人々(ユダヤ人と祭司長達)の態度が示されている。ユダヤ人の態度:イエスを信じた者多数。好奇心の世人の姿生き返ったラザロを見たいと。キリスト信仰はない。祭司長の態度:イエスだけでなく今度は生き証人ラザロを抹殺する計画をした。ラザロのため多くのユダヤ人が議員たちの指導から離れイエスを信じるようになったからである。10,11
    <結び>ナルドの香油を注いだマリヤのイエスに対する敬意、感謝、献身的愛の行動に学ぶ。キリストのためにすべてを捧げる献身的犠牲的な愛の行動、愛の応答はあるのか、今しないで何時するのですかと問われる。 1ヨハネ3:18
     

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hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。





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