礼拝           2024・9・22 

 

祈 り
賛 美  聖歌88 わかくさのまきばより 
交 読  交読文42 詩篇130篇 
主の祈り
献 金 
賛 美  聖歌607 つみとがをにのう 
賛 美  聖歌271 ほふられたまいし 
聖書朗読 ヨハネ11:45〜57
説 教  渋谷 敬一 師
      (白石バプテスト教会 協力牧師・教師)
 説教題『 イエスを殺す計画 』
賛 美  聖歌394 ひとりの御子を 
祝 祷
報 告
メモ
11章
45 そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。
46 しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた。
47 そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行っているというのに。
48 もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」
49 しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。
50 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」
51 ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、
52 また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
53 そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。
54 そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された。
55 さて、ユダヤ人の過越の祭りが間近であった。多くの人々が、身を清めるために、過越の祭りの前にいなかからエルサレムに上って来た。
56 彼らはイエスを捜し、宮の中に立って、互いに言った。「あなたがたはどう思いますか。あの方は祭りに来られることはないでしょうか。」
57 さて、祭司長、パリサイ人たちはイエスを捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出していた。

( ヨハネ11:45〜57 )
----------今週のみことば----------
10 しかし、彼を砕いて、痛めることは 主のみこころであった。 もし彼が、自分のいのちを 罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
(イザヤ 53:10 )
10 Yet it pleased the LORD to crush Him; to grieve Him; that He should put forth His soul as a guilt-offering. He shall see His seed, He shall prolong His days, and the will of the LORD shall prosper in His hand.
-------------要約----------
     
  • <目的> 大祭司カヤパの預言と神のイエスの贖いの死の主権的御定めを学ぶ。51-53
    <序>45-56イエスによるラザロの復活の御業はイエスの命の本源としての力を示し、神の栄光を表した。そして、ラザロの復活は二通りの反応をしました。信じる人々と、パリサイ人に事のいきさつを告げた信じない人々である。こんなことからユダヤ人議会はイエスを殺す決定をした。53.
    今回はユダヤ人議会の決定とイエスの死についての神の主権的定めの関係を知り、神の絶大なる愛による救いに感謝したい。51,52。47-57カヤパの預言とイエスの贖いの死の事実。人間の魂を愛するイエスの同情の涙とラザロの甦りの祝福に対して、罪人の神を無視し自らの欲望に生きるユダヤ人指導者たちの邪悪さを見る。45-46慌てふためくユダヤ議会の様子。イエスの御業の数々、ラザロの復活の事実を認めようとしないユダヤ人議会の指導者たち(大祭司、祭司長、パリサイ人のサンヒドリン議会)はイエスのメシヤ・キリストなることを認めず、イスラエルの国を亡ぼす危険な革命家としてその処遇を討議した。処刑53*奇跡の御業の事実が人を悔い改めて救われるようになるのではない。人は救いにたつぃて全的無能力である。福音信仰は人力ではなく、御霊の力であることを知る。1コリ12:3。ルカ16:31。49-53 議会の長、大祭司カヤパの弁・預言 が記される。大祭司カヤパは(紀元18-36年在位)議会の長として、宗教的政治的権力を握っていた。彼の言葉は決定的であった。カヤパは、国家の安全のための身代わりの犠牲の必要を説いた。49-50。それはユダヤ国民と世界中のレムナント神の子・信者の召集のための死の預言でもあった。*カヤパの提案は自分の考えであり、キリスト予言を自覚していたのではない。神は未信者の思いを神の預言啓示として用いる主権者である。全世界の神の子らの贖いのための死、キリストの絶大なる愛の証し身代わりの死の預言であった。53-57議会のイエス殺害の決定とイエスの時(エフライムの町に避難するイエス)<過ぎ越しの祭りが近づいていた。>人々は全国から、祭りのために身を清めようとエルサレムに集まってきた。イエスのうわさは広まっていた。イエスを見たいという人々がイエスを探した。議会はイエスを殺す計画を立てイエスを探す命令を下した。<あの方が祭りに来るでしょうか>鵜の目鷹の目の好奇心であり信仰の求めではない。過ぎ越しの小羊として犠牲になるイエスの十字架の死が待ち受けていた。1コリ5:7 *過ぎ越しを迎える<多くの人々が身を清めるためにエルサレムに上った>55 外的儀式的体のきよめが救うのではない。マタ5:8;コロ2:23。
    <結び>全人類の贖い主イエスキリストは、自らの死をもって愛を示された。10:11,15,16 キリストの死は人類救済の神の永遠の計画の実行であった。イザヤ53:10,ヘブ9:2628 。それは絶大な神の愛の証明である。3:16。神の愛を受けよう。
     

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hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。





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