礼拝           2024・7・28 

 
祈り
賛美聖歌89 たたえまつれ
交読交読文34 詩篇108篇
主の祈り(下欄掲載)
献金
賛美聖歌687 まもなくかなたの
賛美聖歌462 わがしょうがいは
聖書朗読ヨハネ 9:1−12 
説教渋谷敬一師
説教題『 光なるイエスの御業 』(白石バプテスト教会協力牧師・教師)
メモ
9章
1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
6 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
8 近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」
9 ほかの人は、「これはその人だ」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。
10 そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」
11 彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
12 また彼らは彼に言った。「その人はどこにいるのですか。」彼は「私は知りません」と言った。

( ヨハネ9:1ー12 )

----------今週のみことば----------
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。 5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
( ヨハネ9:4,5 )
4 I must work the works of Him who sent Me, while it is day. Night comes when no man can work. 5 As long as I am in the world, I am the Light of the world.
-------------要約----------
     
  • <目的>盲人の癒しから光に生きる信者の証しの在り方を学ぶ。信仰の確信の保持。
    <序>イエスの父子なる神の一体性は。世の光としての御業により顕される。  生まれつきの盲人の目をいやされたのは世の光として使わされた御子イエスの神の御業であった。イエスは世の光、受肉されたキリストである。1:3,8:12,9:5; 12:46. 光は信じる者の霊肉の救いとなる。生まれつきの盲人の目を癒されイエスの御業と盲人の信仰に注目する。9:1-3 生れつきの盲人となった理由:神の御業が現れるためであるとイエスは語る。 1 <生れつきの盲人を見られた>主が見られた。エルロイ見たもう神である。深い憐憫の情。全知の神、愛の神、主が盲人を見られた。2弟子たちの関心は盲人への同情ではなく、律法の言葉の神学的な原因を探ること(誰の罪のせいか)にあった。出エ20:5;34:7。 3 イエスの答えは親でも本人でもなく<神の業がこの人に現れるためである>と言う。イエスの御業は神の御業である。弟子たちの理解の如何は記されていない。9:4-5 イエスは世の光として世を照らし光の御業をなされる。5<私は世の光である>キリストの超人間的宣言:罪の世を照らし、罪を暴き、悔い改めを迫り、不信仰を裁く、信じる者を希望といやしの救いの光を与える世界の光である(1:4-9;8:12;ルカ2:28-32)。4イエスの業は父の業であり、夜になる前に成し遂げるべき限られた緊急を要する御業である。それ故に明日では遅すぎない今なすべきことをせよ。4<私達は>に注目せよ。イエスだけでなく、弟子たちや信者一人一人の責任である。神の御業、隣人の幸せのための愛の業の実践救いである。5<私のこの世にいる間>贖いの御業十字架の贖いによる救いの完成の時が近い。<光ある中に>伝道と神の恵みの分ち合い慈善チャリテイの奉仕は今することだ。出来ない夜が来る。今しないでいつするのだ。9:6-12癒された盲人に対する周囲の好奇心:どのようにして目が開いたのか?癒された事実の承認と世人の関心。そこには同情、祝福、喜びの共感はない。世の常の姿である。6,7イエスは<泥をこねて目に塗りシロアムの池で洗う>ように盲人に促す。仮庵の祭りでの祭司の水取りの池である。南門から約700m盲人に長い道程。泥を塗って、神の創造の御業が浮かぶ(創世2:7)。7シロアムの池で目を洗った盲人は、目が見えて帰った。光の主の奇跡の御業である。8-9盲人を知る人々見た人たちはその癒しは完全であり客観的事実であることを証明した。本人は元より、後述のパリサイ人とのやり取りからも、座って物乞いをしていた盲人が見えるようになったその人であることの証人であった。<私はその人です>。心身ともに癒す世の光なるキリストの御業である。
    <結び>10-12 癒された盲人の返答と証し、見えないがイエスという人の言葉に従った盲人の信仰に学ぶ。その身に起こったことの証し、御言葉に従った信仰といやしの事実。10<私がその人です。>唾で泥をこねてシロアム池で洗う。知らない人の言葉に従う。12<私は知りません>癒し主を見ないでの信仰が見える者に変えられた。本人家族、苦しみからの解放と新生した心、光に来たものの祝福と喜びとなった。光のある間に“私の証人となる”(使徒1:8)聖霊の働きである。最後まで救の確信を持ち続け、良き業に励むこと。9:4,5へブ10:35-39。
     

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賛美聖歌451 神なく望みなく 
祝祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。






 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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