礼拝           2024・6・9 

 
祈り
賛美聖歌88 わかくさのまきばより 
爻読交読文27 詩篇 40 
主の祈り(下欄掲載)
献金
賛美聖歌642 ヨルダンのかなたに 
賛美聖歌539 見ゆるところによらず 
聖書朗読ヨハネ7:14−36 
説教渋谷敬一師
説教題『 求める人は与えられる 』(白石バプテスト教会協力牧師・教師)
メモ
7章
14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。
15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」
16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。
17 だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。
18 自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。
19 モーセがあなたがたに律法を与えたではありませんか。それなのに、あなたがたはだれも、律法を守っていません。あなたがたは、なぜわたしを殺そうとするのですか。」
20 群衆は答えた。「あなたは悪霊につかれています。だれがあなたを殺そうとしているのですか。」
21 イエスは彼らに答えて言われた。「わたしは一つのわざをしました。それであなたがたはみな驚いています。
22 モーセはこのためにあなたがたに割礼を与えました。――ただし、それはモーセから始まったのではなく、父祖たちからです――それで、あなたがたは安息日にも人に割礼を施しています。
23 もし、人がモーセの律法が破られないようにと、安息日にも割礼を受けるのなら、わたしが安息日に人の全身をすこやかにしたからといって、何でわたしに腹を立てるのですか。
24 うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。」
25 そこで、エルサレムのある人たちが言った。「この人は、彼らが殺そうとしている人ではないか。
26 見なさい。この人は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。議員たちは、この人がキリストであることを、ほんとうに知ったのだろうか。
27 けれども、私たちはこの人がどこから来たのか知っている。しかし、キリストが来られるとき、それが、どこからか知っている者はだれもいないのだ。」
28 イエスは、宮で教えておられるとき、大声をあげて言われた。「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです。
29 わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」
30 そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、しかし、だれもイエスに手をかけた者はなかった。イエスの時が、まだ来ていなかったからである。
31 群衆のうちの多くの者がイエスを信じて言った。「キリストが来られても、この方がしているよりも多くのしるしを行われるだろうか。」
32 パリサイ人は、群衆がイエスについてこのようなことをひそひそと話しているのを耳にした。それで祭司長、パリサイ人たちは、イエスを捕らえようとして、役人たちを遣わした。
33 そこでイエスは言われた。「まだしばらくの間、わたしはあなたがたといっしょにいて、それから、わたしを遣わした方のもとに行きます。
34 あなたがたはわたしを捜すが、見つからないでしょう。また、わたしがいる所に、あなたがたは来ることができません。」
35 そこで、ユダヤ人たちは互いに言った。「私たちには、見つからないという。それならあの人はどこへ行こうとしているのか。まさかギリシヤ人の中に離散している人々のところへ行って、ギリシヤ人を教えるつもりではあるまい。
36 『あなたがたはわたしを捜すが、見つからない』、また『わたしのいる所にあなたがたは来ることができない』とあの人が言ったこのことばは、どういう意味だろうか。」


(ヨハネ7:14−36)

----------今週のみことば----------
17 だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。
(  ヨハネ7:17 )
17 If anyone desires to do His will, he shall know of the doctrine, whether it is of God, or I speak from Myself.
-------------要約----------
     
  •  イエスは民衆の興奮が収まった仮庵祭の中頃から宮での公然大胆に教えを始められた。
    民衆は正規の学問ラビの教えを受けなかったイエスの教えに驚き様々な疑問、 憶測、反応を示した15,25-27,30-31,35。 イエスの教えは神の教えであり、自ら神と一体でイエスは神からの言葉を語った。 しかし、ユダヤ人や民衆はその教えの真意が理解できずイエスは悪霊付き、律法違反者、 神を冒涜する者と考え殺そうとしたが、神の時でないのでイエスを捕らえることはできなかった。30節。 イエスは自分の利欲の作り話でなく神のみこころを教えていることを、 安息日の割礼に関する律法の正しい理解を説き、人々の誤解を糾弾した。 うわべで裁くな、律法を守っていない罪、霊的無知無能を指摘した。 イエスの教えが分るためには“神のみこころを行なう”熱心な求めが必要である。7:17。 群衆のある人々は奇跡信仰を持ったが31ユダヤ人はイエスの言葉が分らず36ギリシャ人伝道に行くと考えた35。 ナザレのイエスはキリストであり神の真理の言葉、救いの道を語った17:4。 神のみこころ、救いの真理を求める者には誰にでも与えられる。7:17。
     

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賛美聖歌196 たえなるいのちの 
祝祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。






 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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