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6章
15 そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。
16 夕方になって、弟子たちは湖畔に降りて行った。
17 そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。
18 湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。
19 こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。
20 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」
21 それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。
(ヨハネ6:15-21)
----------今週のみことば----------
20 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」
( ヨハネ6:20 )
20 But He said to them, I AM! Do not be afraid.
-------------要約----------
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<目的> 嵐の湖上を歩く神の御なるイエスのしるしから信者の堅忍の保証を学ぶ。
<序>15節 5千人の給食のパンの奇跡の結果、民衆はイエスをユダヤ人の王としよとして詰め寄ったがイエスは民衆を解散、弟子たちをカペナウムに帰し、身を避けて一人祈るために山に登った。贖い主の使命のために父との密接な交わりをした。16-21は嵐の湖上を歩くイエスと弟子たちに“恐れるな私だ”と励ます。ヨハネの記す第五の奇跡である。詳細は
マタイ14:24-33. マルコ:6:47-52 に見る。全知全能の主の力と信仰の励ましを知る。
16-18 弟子たちは舟でカペナウムに向かうが、湖上の嵐にあって難儀していた。<テベリヤ湖> 通常ガリラヤ湖(6:1,21:1)西岸テベリヤの町の名からの呼び名である。<湖上の嵐に遭遇した弟子たち>パンの祝福の後の苦難。イエスの命令に従った結果の嵐(試練に遭遇)マタ14:22,マコ6:45、信仰は試される。6:6パンの奇跡の後に真夜中まで嵐と戦う弟子たち。*罪ある人間は試練に遭遇する:1コリ10:13;試練に耐える信仰の祝福があるヤコブ1:2,12。
生みの苦しみ、額に汗の労働、火の試練1ぺテ4:12,は喜びに代わる1ペテ1:6-7.
19 嵐の湖上を歩いてくるイエス。<イエスが歩いて船に近づいて来た>第五のしるしである。それは考えの及ばない超自然的奇跡である。宇宙の創造者支配者なる神の証拠。出エ14:21,22イエスは神の御子キリストである。しかし奇跡信仰は新奇を求める、浅薄な心で救いとならない。事実、多くの者は主から離れた。41,42,60.66.(イスカリオテのユダ) 他方イエスを信じ従う確信の力となる。19 嵐の湖上に歩くイエスを見て恐れる弟子たち。
<彼らは・・見て恐れた>マコ6:49,50。嵐の海で弟子たちの船の前進を妨げていた(マコ6:48夜中三時頃に)湖上を歩くイエス。漁師たちの未経験の驚きと恐れを見る。(幽霊だと叫び恐れたマコ6:49,50)。奇跡は普通の人間の信じられない出来事である。作り話ではない使徒2:22,23. 奇跡の事実は12弟子たちの殉教の死に至る信仰の堅忍を育んだ。20-21湖上も嵐の中でのイエスの励まし<私だ。恐れるな。>嵐の湖上を歩くイエスご自身、万能なる主のお言葉。苦難の中に主が共におられる。インマヌエルの信仰、困難艱難の試練の中で見上げるべき信仰の目は、全能の主を見てその御声を聞くことである。21<彼らは喜んでイエスを船に迎えた> 心を開いて主を迎え入れよう。喜び力が与えられる。*全能の主が<わたしだ。恐れるな>と語られる。試練、苦難にある時こそ、主の確かな御声を聞き心眼をもって全能の主を見上げる。<喜び>となる恐れが変わる。1ペテロ1:7。21湖上の激しい嵐を乗り越えて無事にカペナウムに帰った弟子たち。<船は目的地に着いた>イエスを共にした弟子たちの船は<無事に>カペナウムに着いた。
<結び>多くの霊的適用のある出来事である。主なるイエスキリストの励まし<恐れるな、私だ。>人生の海は嵐が来る。主を信じる者にはどんな嵐も乗り越えられる。天の御国の港に到着するまで主が共にいまし助けられる。恐れるな。全能の主を信じる信仰の堅忍である。 聖歌472[人生の海の嵐]
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