礼拝           2021・5・16

 
祈り
賛美聖歌88 わかくさのまきばより
聖歌94 ひかりかがやく
主の祈り(下欄掲載)
献金
賛美聖歌506 いわなるイエス
賛美聖歌395 みやこのそとなる
聖書朗読ローマ7:7-14
説教渋谷敬一師
説教題『 律法の下にある者 』(元 仙台バプテスト聖書神学校校長)
メモ
7章
7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。
9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
11 それは、戒めによって機会を捕らえた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。
13 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。
14 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。

(ローマ7:7-14)
  • 私は : この部分から「私たち」から「私は」の表現に変化している。 パウロは、個人的な体験として、律法の要求にはとても応えられないことを痛感したことをいいあわわしている。
  • 「むさぼってはならない」 :自分の欲望を満たすこと。をしてはならない。 貪欲は偶像礼拝、金の亡者。
  • 罪が生き :律法ではなく罪が原因。人は、アダムとエバの時から罪の性質を持っている。 罪は律法によってむさぼりを誘発した。罪の欲が執拗にはたらく機会を提供した。 律法に目を留め、欲望が律法に逆らう行動の刺激となる。・・エバの誘惑。 例えば、追い越し禁止車線(律法)のノロノロ運転を追い越してしまった。 のようなこと。
  • 律法  :律法は、十戒とか法律とか、(旧約)聖書聖書として、罪を知らせるためにある。

----------今週のみことば----------
20 なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。 (ローマ3:20)
20 because by the works of the Law none of all flesh will be justified in His sight; for through the Law is the knowledge of sin.
-------------まとめ----------
     
  •  信仰義認を受けた者の罪と律法に対する関係を学ぶ、律法の役割を探る。  肉なる者は罪の下にあるが、信仰により罪の支配から開放されている。  クリスチャンは神の恵みキリスト信仰を通してこの罪と律法をもたらす責苦から開放されている。  神の恵み信仰による聖化はキルストに従う新しい人は聖霊の実を結び聖潔に至り永遠の命  の賜物を受ける。  

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賛美聖歌465 よびとのとがのために 
祝祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。






 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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