礼拝           2021・3・28

 
祈り
賛美聖歌91 ああことばのかぎり(1-4)
聖歌475 主イエスのみそばに
主の祈り(下欄掲載)
献金
賛美聖歌654 神のお子のイエスさま
賛美聖歌595 目には見えねども
聖書朗読ローマ4:9−16
説教渋谷敬一師
説教題『 信仰の父アブラハム 』(元 仙台バプテスト聖書神学校校長)
メモ
4章
9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた」と言っていますが、
10 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。
11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
12 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。
13 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。
14 もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。
15 律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。
16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

(ローマ4:9−16)
  • この幸いは : 罪が赦されること。
  • 割礼を受けていないとき信仰によって義と認められた : アブラハムは、ユダヤ人が特権と思っているように割礼によって義と認められたのではなく、 割礼を受けていない時、信仰によって義と認められた。 義と認められて、14年後に割礼を受けている。割礼は義と認められたスタンプのようなもの。 義認と割礼とは無関係。割礼(スタンプ)が力を持つものでは無く、間違いであることに注意すべき。
  • 世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです : 律法さえ守っていれば良い、ということではない。 律法は神の怒り、刑罰を示すが、義認を与えることはない。 主の信仰を通して義と認められた。 律法が与えられたのはモーセがエジプトを出てから600年を経た後、のことである。 律法は、自分が罪深いことを知り、神さま助けてください、と信仰に導くためのものである。」

----------今週のみことば----------
5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。 あなたの名はアブラハムとなる。 わたしが、あなたを多くの国民の 父とするからである。
(創世記17:5)
5 Neither shall your name any more be called Abram, but your name shall be Abraham. For I have made you a father of many nations.
-------------まとめ----------
     
  •  本日から、イースターまでの一週間は受難週となる。 神さまの救いの計画が、キリストによって完成され成就される、最も大切な頂点にあたる一週間です。 み言葉を思いながら、主への感謝をささげる一週間としたいと思います。
    先週の説教(ローマ4:1−8)では、人は行いの原理ではなく、信仰の原理によって 義と認められるということをアブラハムとダビデの例を通して、パウロが語っている。ことを述べた。 神さまと私達を結びつけるものは信仰である。信仰とは、神さまを信じて委ねてゆくことである。 アーメンは、ヘブライ語で神を信じたの動詞形。神さまへの応答。 イスラエルの民が律法、割礼の儀式、細かい規則を守って仕えたが義と認められなかった。 それは心が伴っていなかったから。信仰がともなっていなかったから。 信仰によって、神さまの恵みによってのみ義と認められるものである。これら旧約聖書 の義認の方法であったことをパウロは説明している。
    今回の部分(4:9−16)では、パウロ、およびユダヤ人たちは信仰の父アブラハムにつづく選民として、 持っている誇りについて、どうであるか、アブラハムがどのような信仰を持って義をいただいたのか、 それは、律法や割礼と、義認と どういう関係があるかについて、パウロは述べている。
     

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賛美聖歌734 信ずる者は何人も 
祝祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。






 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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