礼拝           2021・3・21

 
祈り
賛美聖歌89 たたえまつれ
聖歌476 やすけさは川のごとく
主の祈り(下欄掲載)
献金
あかし石塚 姉
特別賛美大畠 師 聖歌604 めぐみを数えてみよや
賛美聖歌594 なおもみめぐみを
聖書朗読ローマ4:1−8
説教渋谷敬一師
説教題『 恵みによる信仰義認 』(元 仙台バプテスト聖書神学校校長)
メモ
4章
1 それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。
2 もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。
4 働く者の場合に、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。
5 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
6 ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。
7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。
8 主が罪を認めない人は幸いである。」

(ローマ4:1−8)

----------今週のみことば----------
8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
(エペソ2:8−9)
8 For by grace you are saved through faith, and that not of yourselves, it is the gift of God,
9 not of works, lest anyone should boast.
-------------まとめ----------
     
  •  パウロは、ピリピ3章(*1)で、人間的にたよりとする事がないではないが、 ユダヤ人としての誇りとするこれらのことは、塵芥(ちりあくた)のようなものである、と言っている。 ユダヤ人が誇りとしているアブラハムの場合はどうであったか、行いの連理か、信仰の原理か、この点に ついて考えてみましょう。
    *1(ピリピ3:4-6) 4・・私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。 5 私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、 6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。  

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賛美聖歌582 神の御子にますイエス 
主の晩餐聖歌161
祝祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。






 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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