メモ |
10:46彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、
テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
10:47ところが、ナザレのイエスだと聞くと、
「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めた。
10:48そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、
「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
10:49すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」
と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。
さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。
10:50すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。
10:51そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」
すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
10:52するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。
あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、
イエスの行かれる所について行った。
(マルコ10:46−52)
- ダビデの子のイエスさま :
イザヤ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
イザヤ11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。
エッサイ=ダビデの父
- 「わたしに何をしてほしいのか。」 :
わたしたちは悩んでいる。イエスさまから何をしてほしいかと問われたら
訴え求めるべき、神さまは喜んで救ってくださる。信仰の力はすごい。
信仰は、求めるものをいただく手のようなもの。求めるものは救われる。
自分は信仰によって救われているか点検してみる。
信仰を持つとどうかわるか?、外見でわかるか?
変わるのは生き方、人間の考えでなく、神さまの考えで生きる生き方に変わる。
ちょうど、両替で出てきたピン札のように。古いものが新しくなる。
(2コリント)
5:17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
----------今週のみことば----------
45:22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。
わたしが神である。ほかにはいない。
(イザヤ45:22)
-------------まとめ----------
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あなたは、本当に私・主イエスに何をしてほしいのですか?、
永遠の滅びですか?、または希望の未来・永遠の救いですか?
神なく、望みなく彷徨う生活から方向転換して、まことの愛を持って
救ってくださる神を信じる道を生きる者となりませんか?
(1テモテ)
2:4神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
(ヨハネ)
3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(イザヤ)
55:6 主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。
55:7 悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
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ここにあるのは、イエスさまが実際に行った奇跡のひとつ、
盲人のこじきバルテマイの話、バルテマイは信仰によって
イエスさまから罪を許され、目が見えるようになった。
病は罪の結果、罪がなかったら病はない、
(マルコ) 2:17イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
(使徒)
17:27これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
(マタイ)
7:7求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
(マルコ)
11:24だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、
すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
11:25また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。
(ヘブル)
11:1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、
神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、
信じなければならないのです。
- わたしたちは、必要なものがわからない、盲目である。神と無縁、無力、無望、
必要がわからない罪ある人間の姿。
私たちは、目が見えているから、何がほしいかと問われると考えてしまう。神さまを
必要としない状態になってしまっている。私たちが年老いて、何もできなくなった時、
「生きていてよかった」を手にしているか。何も持たなくても、信じて救われること、
神を取り込むための信仰は大切。イエスさまは「してほしいこと、何でもしてあげる」
気持ち、バルテマイは、瞬間で見えるようになった。神さまの奇跡を取り込む信仰
が大切。
(エペソ)2:1あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2:2そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、
歩んでいました。
2:3私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、
肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、
生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
(マタイ)
7:13狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこからはいって行く者が多いのです。
7:14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
- もっとも大切なことは、イエスさまとの心のつながり。
詩編46:10文語訳「汝ら静まりてわが神たるを知れ」はなくてはならないもの。
マリヤとマルタの話、・・・マルタはもてなす準備で忙しかった、マリヤはイエスさまのそばで聞いていた。
(ルカ10:42)しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。
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