礼拝           2018・7・1

 
祈り
賛美聖歌91 ああことばのかぎり(1ー4)
聖歌199 かがやくすがたは
主の祈り(下欄掲載)
献金
あかし佐藤 兄
賛美聖歌541 みなささげまつり
賛美聖歌347 いかにおそるべき
聖書朗読使徒18:1−17
説教渋谷敬一師
説教題『 恐れないで語り続けなさい 』(元 仙台バプテスト聖書神学校校長)
メモ

18:1その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った
18:2ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人および その妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、 すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、 近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
18:3自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。 彼らの職業は天幕作りであった。
18:4パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。
18:5そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、 パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、 ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。
18:6しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、 「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。 今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。
18:7そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。 その家は会堂の隣であった。
18:8会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、 多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。
18:9ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
18:10わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、 危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。
」と言われた。
18:11そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
18:12ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、 ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、
18:13「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています。」と訴えた。
18:14パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。 「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、 私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、
18:15あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、 自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」
18:16こうして、彼らを法廷から追い出した。

18:17そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕え、 法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。

(使徒18:1−17)
  • コリントへ行った 
  • 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。 : コリントの教会は献金を渋った。集めたお金で教会を助けようとはしなかった。貧しいマケドニヤの諸教会 からの助けがあった。他にも、いろんな人たちの働きと協力で宣教を続けた。 また、当時のラビの教育方針は「自活できるようになる」で、パウロは天幕作りの技術を持っていた。 パウロと同業であるアクラとプリスキラの助けがあって宣教ができていた。
    (使徒20:33)20:33私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。
  • パウロはみことばを教えることに専念し : パウロは、聖書にもとずいた、預言の成就としての十字架と復活について宣べ伝えた
  • あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。 今から私は異邦人のほうに行く。 : 福音を拒絶したユダヤ人は国を失い、その選民としての特権、祝福は異邦人へと変えられた。
  • 恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。 18:10わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、 危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。 :  伝道の苦労はしたけれどなかなか成果が上がらない、パウロは大変な状態だった。 もうやめよう、と思ったにちがいない。そんな時、主は幻で現れ、パウロを元気づけた。
    (第2コリント11:23ー28) 11:23彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、 私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、 また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。
    11:24ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
    11:25むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、 一昼夜、海上を漂ったこともあります。
    11:26幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、 都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
    11:27労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、 寒さに凍え、裸でいたこともありました。
    11:28このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。
  • ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。 不正事件・・・ こうして、彼らを法廷から追い出した。: ガリオの決定により、その後のパウロの宣教が平穏で、自由に伝道できるようになった。 摂理の神のされた事。細かい所に及ぶ神さまの力を信じて生きる生き方が大切。 →(聖歌578:主の愛のながうちに)

----------今週のみことば----------
18:9ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
18:10わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、 危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。

(使徒18:9、10)

-------------まとめ----------
     
  •  パウロはアテネからコリントに移って伝道(第2回伝道旅行: 紀元50-54年)を続けた。コリントは 地理的に、アドリア海のレカイオン港とエーゲ海のケンクレアを結ぶ荷物の運送拠点 (現在のように運河とはなっていなかったため)であり、商売の都市として栄えた。  また、アテネ同様、偶像が多く配置され、哲学的考えを持ち、礼拝の盛んな活気ある町であった。 また、神殿娼婦1000人をかかえ、遊びを目的に人々が集まった。 コリント風という言葉は、快楽、 遊び人、いかがわしい、の代名詞であった。
     パウロはこの地を重要視し、3度訪れている。1コリント、2コリント、テサロニケに記述されている とおりである。コリントの教会にはお金を使う人たちが集まっていた。いろいろな問題も抱えていた。 パウロは、偶像礼拝者たちに向かっての真の神の存在の聖書弁証のメッセージ(人間にとって神はどのような 方か、人間が今ここに居るのはなぜか?、これからどうなるのか?)を伝えた。 確かなものを与えられないユダヤ教の教え、ギリシャの哲学思想、エピクロスとスト派に対して、ここに 真理の道ありと語った。
     

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賛美聖歌525 かたりつげばや 
祝祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。






 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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