礼拝           2017・7・2

 
祈り
賛美聖歌94 ひかりかがやく
聖歌89 たたえまつれ
主の祈り(下欄掲載)
献金
賛美聖歌229 おどろくばかりの
賛美聖歌195 わがめをひらきて
聖書朗読使徒3:1ー10
説教渋谷敬一師
説教題『 私にあるものを上げよう 』(元 仙台バプテスト聖書神学校校長)
メモ

ぺテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。 すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。 この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、 毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。 彼は、ぺテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。 ぺテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。 すると、ぺテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。 ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、 神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、 この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
(使徒3:1ー10)
  • 午後三時の祈りの時間: 1日に3回、定時に祈りの時間が設けられていた。 祈りをとおして神様との交わりがあった。ユダヤ教会と同じ、祈り、祈りの習慣があった。 クリスチャンのとして祈ることは実践すべきこと。
  • 生まれつき足のきかない男が・・・宮の門に置いてもらっていた。: ここでは、盲人バルテマイと同様の奇跡(マルコ10:45ー)が述べられている。 宮では献金をする、そこに施しを求める人たちがあつまって来る、当時の状況があった。 ユダヤ教の律法にも、貧しい人、足のきかない人を助けるようにという決まりがあった。 生まれつき足のきかない人にとっては食べるだけのために一生懸命、足さえ自由になったらという思いが あったにちがいない。  
  • 施しを求めた:歩けるように求めたわけではなく、施しを求めた。歩けるようになることは諦めていた。 
  • 「私たちを見なさい」:これから与えようとすることを良く見て確認するように、の意味 
  • 金銀は私にはない:イエスさまだけを頼りに、何も持たず。いろんな人たちからの支援で生活していた。まずしい生活。
  • 私にあるものを上げよう・・・ナザレのイエス・キリストの名によって:持っていなければ与えられない 霊的なもの。震災で物質的ないろんな支援が寄せられたが、中にはダブついて腐らせて無駄になったものが在ったほど。  
  • 人々はみな・・・彼が賛美しているのを見た。:最も必要としているものを与えた。 これを見た人全員が信仰をもてば良かったが、人の心は変わらなかった。これが迫害のきっかけとなり 、後にペテロたちはとらえられることとなった。  奇跡はきっかけであり、これで救われるわけではない。物ではなく、永遠の命の喜びから湧き出す、 神を賛美する生き方がベスト。  

----------今週のみことば----------
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。 ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」
(使徒3:6)

-------------まとめ----------
     
  • 私たちが福音を述べ伝える時、御名による信仰で新しくなる。 イエスさまの証人として、しっかりとした信仰者で在りつづけることが必要。 現実は、クリスチャンが年老いて介護施設での生活など、むずかしさがある。 教会の隣に、公的な介護施設を運営するところもある、私にあるものを上げよう の仕える取り組みが必要とされる。  


----------------------------
賛美聖歌525 かたりつげばや
祝祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。






 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

トップ アイコン
もどる