礼拝           2016・12・18

 
祈り
賛美聖歌127 ノエルおばはじめに
聖歌136 かむりをもなれは捨てて
主の祈り(下欄掲載)
献金
賛美聖歌135 われらはきたりぬ
賛美聖歌131 いざみたみよ
聖書朗読ルカ 4:14ー30
説教湯浅修 師(めぐみバプテスト教会)
『ナザレでの排斥』
メモ

ルカ 4:14ー30
イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。 すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。イエスは、彼らの会堂で教え、 みなの人にあがめられた。それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、 いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。
すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、 わたしに油を注がれたのだから。主がわたしを遣わされた。 捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。 しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために」(イザヤ 61:1-2)
イエスは書を巻き、係りの物に渡してすわられた。 会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。 「きょう、聖書のみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」 みなイエスをほめ、その口から出てくる恵みの言葉に驚いた。そしてまた、 「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ自分を直せ。』というたとえを引いて、 カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれと言うでしょう。」 また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも 自分の郷里では歓迎されません。 私が言うのは真実のことです。エリヤの時代に、3年6ヶ月の間天が閉じて、 全国に大飢饉が起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたがエリヤは誰のところにも遣わされず、 シドンのサンプタにいたやもめの女にだけ遣わされたのです。 また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、ライ病人がたくさんいたが、 そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」 これあのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、 そこから投げ落とそうとした。しかしイエスは、彼らの真ん中を通り抜けて、 行ってしまわれた。 (ルカ 4:14ー30)

----------今週のみことば----------

-------------まとめ----------
  • キリストはカナからナザレに移動し、その会堂で、説教を行うことになった。 会堂は、教えのために設置され、ユダヤ人の宗教生活の中心、バビロン補囚以後、各地に広まった、 祈り、聖書朗読、解き明かしが行なわれていた。牧師のような専門家はおらず、 会堂管理者の判断で解説者が選ばれ、解き明かしがされるならわしであった。 今回、解き明かしにイエスさまが指名された。(解き明かし→イザヤ61:1ー2)
    人々は、イエスさまの恵みの言葉に驚いたが、 一方「この人はヨセフの子ではないか」という批判的な見方があった。 イエスさまは、これらに対し、
    神のことばを人のことばとして聞くことの非難(「この人は、ヨセフの子ではないか」→第一テサロニケ2:13)、 ことばより印を求める姿勢の非難(「医者よ。自分を直せ」)、 選民であることのイスラエル人の高ぶり・優越感への非難(異邦人:シドンのサレブタにいたやもめの女、シリヤ人ナアマン を優遇) を指摘した結果、会堂にいた人々は怒り、イエスさまを殺そうとした。

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賛美聖歌125 ふけゆくのはらの
終祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、湯浅修 師の録音です。
   
   




 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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