礼拝           2016・9・11

 
祈り
賛美聖歌590 すくいぬしイエスと
聖歌491 あまつくにをさして
主の祈り(下欄掲載)
献金
賛美聖歌570 雨をふりそそぎ
賛美聖歌688 あおいそらより
聖書朗読マルコ10:13ー16
説教渋谷敬一師
説教題『 神の国と子どもたち 』(元 仙台バプテスト聖書神学校校長)
メモ

 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子供たちを、みもとに連れて来た。 ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、 彼らに言われた。「子供たちを、、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。 神の国は、このような者たちのものです。 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、 決してそこに、入ることはできません。」 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。 (マルコ10:13ー16)
  • イエスにさわっていただこうとして、人々が子供たちを、みもとに連れて来た。: 
    七五三で祝ったり、イスラエルでは、ラビに触っていただいたりして、親たちは かわいい子どもたちのしあわせ、すこやかな成長、将来を祈念する。どこでも同じであり親の責任でもある。
    ソクラテス(クリスチャンではないが)曰く、「どの親も子どもたちに、財産を残そうと思ってがむしゃらに働くが、 肝心の将来どのような人間になるかについてはあまり考えていない。」
    神の国を受け継ぐように育てていく必要がある。
  • 弟子たちは彼らをしかった:(なぜ?) 詳しくは書いてないが、推測では、イエスさまが疲れる と思ったり、仲間ではないから、
  • イエスは・・・憤って:強い憤り、おさなごをつまずかせた罪、・・石臼に挽かれるべき(マルコ9:42)
  • 子どものように:子どもは弱く親の言うことを聞くしかない(しつけ)、自分の弱さを知って良く 聞き従う、信じて疑わない姿勢、無知ということではなく、心の持ち方を意味する
  • イエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。:子どもは祝福される資格がある 、私たちは責任がある。



----------今週のみことば----------
まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、 決してそこに、入ることはできません。」 (マルコ10:15)

-------------まとめ----------
     
  • 子どもと神の国の関係は?
     知識を身につけ何でも知っている人であっても、子どものような心でなければ、神の国に入ることはできない。 パウロも、説教をする牧師であっても、子どものような心をもたなければ 神の国にはいることはできない。 大切な命、神の国に入って永遠の命を持つこと、これが、本当の意味で命を大切にすることである。 むずかしいことだが、私たちの、家族、友人、知人、イエスさまのもとに連れてくることが私たちの働き
    (詩編49;6ー8) おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを。人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。 自分の身代金を神に払うことはできない。ーーーたましいに購いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。
    (ダニエル12;3) 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は世よ限りなく、星のようになる。  

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賛美聖歌687 まもなくかなたの
主の晩餐聖歌161 このつみのふかい
祝祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、渋谷敬一師が奉仕してくださいます。






 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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