礼拝           2016・7・31

 
祈り
賛美聖歌475 主イエスのみそばに
聖歌726 わが友にます
主の祈り(下欄掲載)
献金
あかし佐藤 兄
賛美聖歌595 目には見えねども
賛美聖歌506 いわなるイエス
聖書朗読ヨハネ 4:46ー53
説教湯浅修 師(めぐみバプテスト教会)
キリストの生涯(41)『王室役人の信仰』
メモ

イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かって水をぶどう酒にされたところである。 さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて 、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。 そこで、イエスは彼に言われた。「あなた方は、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」 その王室の役人はイエスに言った。「主よ、どうか私の息子が死なないうちに下って来てください。」 イエスは彼に言われた。「帰っていきなさい、あなたの息子は直っています。」その人は、イエスの言われた言葉を 信じて、帰途についた。 彼が下っていく途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。 そこで子供がよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、七時に熱がひきました」と言った。 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っています」と言われた時刻と同じであることを知った。 そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。 (ヨハネ4:46ー53)



----------今週のみことば----------

-------------まとめ----------
王室の役人は、イエスの言葉を信頼し、イエスの奇跡(願った息子の病の回復)の事実を知って 彼自身と彼の家の者がみな信仰を持った。このように、信仰とは事実の上に成り立つものである。
事実と信仰と感情の関係は、例えると、それぞれ土台、家、天気のようなものである。→
 事実と信仰と感情が共に旅をした。  感情(天気)が壊れて休むと信仰(家)もふらふらして弱くなった。しかし事実(土台)は 少しも衰えず、変らなかった。これを見て信仰(家)は強くなり感情(天気)も元通りになった。

  確かに、わたしたち、は見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。(2コリント5:7)

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賛美聖歌539 見ゆるところによらず
終祷
報告

hana


【報告・連絡】:
    *本日の礼拝説教は、湯浅修 師の録音です。
    





 私たちは私たちの信仰を次のように告白します。

《主の祈り》
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
 
 

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